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Silhouette of a holy girl

公開済みの stampsy

"A fragment of memory"_February 3, 2021 をスライドに仕立て直したもの。


以下は stampsy 公開時に付けたテキスト。


どうしようもなく とっ散らかった記憶とともに…


撮影前に少しだけ

この物語について話したのだが

何故か 十代終わり頃 入院の記憶が甦った

或る外科手術を受けての入院だったが

私のベッドの左手側 一つ置いた窓際には

胃の手術を受けた男性が寝ていた

頬骨が目立つ気がしたのは病名を聞いたからなのか


夕方 窓の向こうが翳り始めるころ

その男性のところへ

美しい子が 見舞いに来ていた

母が談話室へ誘って 聞いてきた話には

私の卒業した高校の すぐ隣の県立高校に通う娘さんだった

校名を聞いて納得できる 清楚で静かな佇まい


しかし その顔を今どうにも思い出すことができない

一言も交わすことなく退院したから仕方ないのだが

暗くなり始めた病室の窓を背にして立つ

50年近く前のシルエットが浮かぶだけだ


この撮影をするまで そんな記憶が 

意識の表に浮かび上がってきたことはない

若い頃に辟易していた老人たちの昔話は

自分が その年代になってみると

実は切れ切れの断片であることが分かる

心動かされ 四六時中思っていたようなことでも

一旦記憶の底へ沈むと 何もかもが朧

不意に思い出したことも

微かな糸くずのようなもので

それを手繰っていっても何処かへ繋がることはない


交通事故によるという登場人物の記憶喪失なのか

作中の創作という意図的な虚構の世界なのか 

この物語は読み終わっても判然としない仕掛けの中にある

その瘴気を吸いこんだ若い日の記憶が

撮影した画像に重なりあって 朧の底が深くなる


A fragment of memory

echoes


書影は 倉橋由美子「聖少女」

    昭和47年9月5日 19刷 新潮社




後記

stampsy からの作り直し2つ目は、この人のもので。


憧れていた人の撮影は、これが最初で最後。

既に活動の主体は東京。キャリアアップを目指しながら時折関西に帰ってきていた。

馴染みある通称名も、その2つ目も、使用・表示は不可とされた。検索されて画像が繋がっていくのがイヤだから_とのこと。セルフ・プロデュースも徹底していた。ある角度からの撮影は全てNGだった。


青い空と、風に流される白い雲。この人は、そんな一日の、千変万化する光に似ていた。

仮に今でも、アマチュアに撮影を許してくれる人であったとしても、被写体をお願いする「勇気」が私にあるかどうか。それでも時々、思い返す。

美しい人。


撮影してから、そろそろ2年。

記憶の中のザラザラしたものは、時間が過ぎるにしたがって角が取れ、円かになっていた。


女性の胸像

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